名古屋高等裁判所 昭和49年(ネ)221号・昭49年(ネ)296号 判決
主文
原判決中、控訴人(附帯被控訴人)敗訴の部分を取消す。
被控訴人(附帯控訴人)らの各請求を棄却する。
本件附帯控訴をいずれも棄却する。
訴訟費用(附帯控訴費用を含む)は第一、二審とも被控訴人(附帯控訴人)らの負担とする。
事実
第一 本件控訴についての当事者の申立
(控訴人)
原判決中控訴人敗訴の部分を取消す。
被控訴人らの各請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
(被控訴人ら)
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
第二 本件附帯控訴についての当事者の申立
(附帯控訴人ら)
原判決中附帯控訴人ら敗訴の部分を取消す。
附帯被控訴人は、附帯控訴人水口伸二に対し(原判決認容部分を含め)二四九八万七二五五円、同水口達彦、同水口桂子に対し(原判決認容部分を含め)各二六〇万円並びに(原判決認容部分を含め)右各金員に対する昭和四七年三月二四日以降各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
附帯控訴費用は附帯被控訴人の負担とする。並びに仮執行の宣言。
(附帯被控訴人)
本件附帯控訴をいずれも棄却する。
第三 当事者双方の主張
当事者双方の主張は左記に付加するほかは原判決事実らん摘示と同じであるから右記載をここに引用する(注、本誌三〇七号一一〇頁下段左から九行目「低体重」の次に「児」を加える訂正、その余は訂正ずみ)。
理由
第一左記(1ないし8)の事実については、当裁判所も原審裁判所の認定と同じであるから、原判決理由中第一、及び第二の一記載(すなわち、<編注―本誌三〇七号一〇八頁一段から一一三頁二段まで>―ただし後記のとおり一部訂正した部分を除く。)をここに引用する。
1 当事者双方に争いのない事実
2 控訴人の経営する総合病院高山赤十字病院(以下「控訴人病院」という。)の規模等
3 被控訴人水口伸二(以下「被控訴人伸二」という。)が失明するに至つた経緯
4 未熟児網膜症の歴史的背景
5 未熟児網膜症の発生原因
6 未熟児の眼底検査等
(ただし<編注、本誌三〇七号一一一頁三段左から八行目以下四行を削除し>、その代りに「実施時期について異見はあるものの、眼科医に対し診療担当にかかる当該未熟児の眼底検査を指示・依頼することは小児科医の常識となつていたものということができる。」を付加する。)
7 未熟児網膜症の治療方法
8 光凝固法が眼科医学界に発表された経緯
第二そこで、次に、控訴人病院における担当医師等の被控訴人伸二に対する全身管理並びに酸素投与について被控訴人らの主張するような医師としての注意義務懈怠があつたかどうかにつき考えるに、この点については当裁判所も控訴人病院ないし担当医師らのとつた措置に過失の存在することを認めるのは相当ではないと判断するものであつて、その理由は、原判決<編注―本誌三〇七号一一三頁二段(一)から一一五頁二段右から九行目>の記載と同じであるからこれをここに引用する。
もつとも、当審証人尾沢彰宣の証言中には、控訴人病院の担当医師が被控訴人伸二に対してなした酸素投与についてこれを過剰投与であるとする供述があるが、しかし同証人の証言は、同被控訴人についての哺育記録や看護記録にのみ基づいての判断であり、同伸二の哺育に直接関与したうえでの判断ではないこと(未熟児に対する酸素の必要性の有無は、右記録に現われない事情をも加味した担当医師の総合判断により決定されるべきことは弁論の全趣旨により明らかである。)からすれば、右証言によつても前記結論の妨げにはならないものというべきである。
なお、<証拠>によれば、酸素投与中の未熟児の全身管理については哺育器内の酸素濃度のみならず、未熟児の動脈血中の酸素分圧PaO2を計時的に測定し、概ね八〇mmHg以下に抑制することが本症の予防上有効視されているといわれるが、現在においてすら右計測器が十分普及していないのみならず、有害酸素濃度と右PaO2値との関係も未だ完全に解明されていないことが認められる。従つて右のような事情からすれば、控訴人病院において本件当時被控訴人に対してPaO2の計時的測定をしていないことを以て全身管理に粗漏があつたということもできない。
被控訴人らは、要するに、未熟児に対する全身管理が整備されれば本症の発症がなくなるもののように主張するが、昭和五〇年一一月発行の「小児科臨床」二八巻一一号誌上掲載の名古屋市立大学医学部小児科小川次郎ら一七名による「米国・カナダの新生児医療調査報告」によれば、わが国より遙かに整備された新生児集中治療施設(NICU)を有する近時における米国においても少数例ではあるが本症の発生は不可避とされていることの窺われることからすれば、その失当であることは明らかである。
第三被控訴人らは、さらに、被控訴人伸二が失明するに至つた原因として、控訴人病院の相当医師らにおいて適当な時機に被控訴人伸二に対し薬物治療をしなかつたこと及び同人を天理よろづ相談所病院(以下「天理病院」という。)に遅滞なく転送し、同病院において光凝固治療を受けさせておれば失明を免れえたことは明らかであるところ、これらの措置が遅れたのは控訴人病院の担当医師らの被控訴人伸二の症状についての誤診ないしその他の不注意に基づくものであると主張するのである。
よつて以下これらの点につき順次審究する。
一本症に対する薬物治療の奏効性について
被控訴人らの主張の一つは、要するに、被控訴人伸二に対し適時にステロイドホルモン剤が投与されておれば失明を免れることが可能であつたというにあるから、先ず、臨床医家の間で本症に対する右薬物治療の有効性につきどのように考えられていたかが検討されなければならない。
1 <証拠>によれば、被控訴人伸二が控訴人病院において本症の治療をうけた昭和四五年初めころ、わが国の医学界並びに臨床医家間で唱道され、かつ実施されていた治療法は次のとおりであることが認められる。
(一) 東京大学教授小林隆、同高津忠夫監修にかかる「新生児研究」(株式会社医学書院昭和三七年六月三〇日第一版発行)において、小児科医藤井としは、「RLF(水晶体後方線維増殖症―本症の別名称―以下同じ。)の初期の治療には酸素が有効で、高酸素環境より離脱し、初期症状の見られた例は再び酸素環境に移すことにより治癒する。進行しRLFに到つたものは治療方法がなく、ACTH(副腎皮質ホルモン分泌刺激剤―以下同じ。)が試みられ、また外科的治療も行われたが、効果は見られないようである。」と述べている。
(二) 慶応義塾大学名誉教授植村操他一名の編集にかかる「小児の眼科」(株式会社医学書院昭和四一年七月一〇日第一版発行)においては、本症の治療として「定期的眼底検査にて、活動期の可逆性のある時期に発見し、適当な酸素供給、ACTH、副腎皮質ホルモン剤の投与を行うことによつて治癒せしめうるものである。しかし、現在、本邦の現況では、ほとんどが瘢痕期になつて発見されるために、まつたく手の施しようがないのである。」と記載されている。
(三) 国立小児病院眼科植村恭夫医師他一名は、昭和四二年二月「臨床眼科」二一巻二号誌上の「未熟児網膜症の臨床的研究」と題する論文において、「酸素療法中に、発症した場合は、同時に副腎皮質ホルモン剤の投与を開始すれば、著者らの症例では、酸素療法を継続してもその寛解がみられたことから、眼底検査の結果を指標として、酸素療法を施行すれば、未熟児網膜症の発生、進行防止が可能であるといえる。」と述べている。
また右植村は、当審において昭和四〇年代初めころは、本症については副腎皮質ホルモン剤の投与が唯一の治療方法であつたとも証言している。
(四) 日本大学教授石山俊次他二名の編集にかかる「今日の治療指針―私はこうして治療している―」(株式会社医学書院昭和四三年五月一日第一版発行)において、前記植村恭夫は、本症の治療法として、活動期初期に、副腎皮質ホルモン療法を行うことが必要で、ⅣないしⅤ期まで進行した場合には効果が少ないか、無効のことが多いこと、結局、本症を確実に治療せしめる方法は現在は存しないと述べている。
(五) 九州大学総長遠城寺宗徳他三名監修にかかる「現代小児科学大系第15巻眼科・耳鼻科疾患」(株式会社中山書店昭和四二年一〇月七日第一版発行)において、福田雅俊は、本症の治療として、「早期の活動期また消退期に発見されたものではただちに50〜60%の酸素を含む哺育器に移し、副腎皮質ホルモン剤(ACTH)、α-tocopheryl acetate、ビタミンE、D、止血剤などを投与し、段階的に酸素分圧を減じていけば有効な場合が多いが、瘢痕期のものにはいかなる治療も無効である。」と述べている。
(六) 東京大学名誉教授小林隆他一〇名監修にかかる「現代産科婦人科学大系20B新生児学各論」(株式会社中山書店昭和四六年一一月三〇日第一版発行)において日本大学教授馬場一雄他一名は、本症の治療として「早期の活動期または消退期に発見されたものは、酸素濃度を一度50〜60%まで上げ、その後酸素濃度を徐々に段階的に減圧していくと同時に、副腎皮質ホルモン剤、止血剤、ビタミンB1剤、B12剤、血管拡張剤などを投与する。これにより有効なものも多いが、瘢痕期まで進行したものの予後は悪い。したがつて本症においては、治療よりはむしろ予防並びに早期発見が重要である。このためには未熟児の定期的眼科的管理が必要であり、入院中はもとより退院後も定期的なフォローアップも必要となろう。」と述べている。
(七) 名古屋市立大学医学部(眼科)教授馬嶋昭生は、「産婦人科の実際」二五巻三号(昭和五一年三月一日発行)において、本症の薬物療法につき言及し、副腎皮質ホルモンは、「最も広く使用され、その効果は現在も議論されている。歴史的には一九五一(昭和二六年)ReeseらがadrenocorticotropinあるいはCorisoneが本症の血管増殖期を抑制するかも知れないと考えて使用し、初期の結果は大変有望なものであつた。しかし、多くの研究者によつて無効であると報告され、Reeseら自身も一九五二(昭和二七)年には本症の進行の抑制には認むべき効果はないとして使用を中止した。」と述べ、
また、同旨の証言をしている。
以上によれば、被控訴人伸二出生当時、新生未熟児を観護療養に当たる小児科」産科、眼科医としては、本症に対しては活動期の初期(いわゆるオーエンスⅠ、Ⅱ期)において酸素濃度の適正管理(論者によりその方法には若干の相違がある。)、副腎皮質ホルモン剤、ビタミン剤等を投与することが臨床医家の間でのほぼ共通した治療法であること(もつとも当時においてすら効果につき疑問が投ぜられていた向のあることは前認定のとおりである。)、しかし、オーエンスⅣ期以上に進行した場合には右の治療法も効果がなく、かつ、病状の進行を確実に停止する方法は存しないとされていたことを認めることができる。
2 ところで、最近の時点(本件口頭弁論終結時である昭和五三年六月二二日)において、光凝固治療法以外の治療法がどのような評価をうけているかにつき検討するに、<証拠>によると以下の事実を認めることができる。
(一) 国立小児病院小児内科奥山和男他二名は、「小児科臨床」二五巻六号(昭和四七年六月発行)誌上の「未熟児網膜症と酸素療法―小児科医の立場から―」と題する論文において本症の治療について言及し、「未熟児綱膜症の活動期初期の病変には、ACTH、ステロイド、止血剤などの投与が試みられるが、効果についてはまだ見解の一致をみない。われわれは、活動期病変の発見された例にステロイドと止血剤の投与を行つており、21例は治癒したが9例は瘢痕を残した。薬剤投与にもかかわらず、病変が急速に悪化し、進行を防ぎ得なかつた症例もあり、いつぽう治癒したものについても、自然治癒なのか、薬物の効果であるのか、判定は困難であつた。」と述べている。
(二) 九州大学医学部眼科学教室講師大島健司は、「眼科」一四巻六号(昭和四七年六月発行)誌上の「未熟児網膜症の臨床上の問題点」と題する論文において本症の治療について言及し、「現在まで治療法として挙げられたものは、Vit. E, Vit. C, Vit. P.副腎皮質ホルモンなどの薬物療法と光凝固による物理的療法である。活動期病変に対しては、現在までの薬物療法はその進行をとめることはあまり期待できない。これに反し、光凝固は最も有力で、それが適当な時期に施行されれば、後極部網膜に影響を及ぼすことなく、網膜症を確実に治癒におもむかせることができる。……」と述べている。
(三) 前記(現慶応大学医学部眼科教授)植村恭夫他一一名が共同研究の結果をまとめた「未熟児網膜症の診断および治療基準に関する研究―厚生省特別研究費補助金昭和49年度研究班報告」によれば、本症の治療の方法として、副腎皮質ホルモンの効果については全身的な面に及ぼす影響も含めて否定的な意見が大多数であつた旨報告されている。
(四) 大阪市立大学医学部眼科学教室松山道郎は、昭和五〇年三月、「日本眼科紀要」二六巻三号において、昭和四九年一一月三一日大阪府医師会館で行われた第一六二回大阪眼科集談会でなした、「未熟児網膜症の概況―とくにその問題点―」と題する講演で、「本症の治療に関しては、小児科での十分な管理と共に、密接な提携を行いつつ、慎重なfollow-upを行い、ことに活動病変期に対する心構えが要求される。目下のところ、本症に対する薬物療法はすべて懐疑的で、私自身、ステロイド剤等の使用はほとんど無効と思つている。従つて光凝固、または冷凍術にその効果を期待せねばならない。」と述べたことを報告している。
(五) 名古屋市立大学医学部眼科馬鳴昭生は、昭和五一年三月、日本新生児学会雑誌一二巻一号誌上の「未熟児網膜症の発症機転と臨床」と題する論文において、本症の薬物療法につき「米国で最初に用いられたのが、α-tocopherol (1949)、次にadrenocorticotropin, cor-tisone(1951)であるが、当時その効果はいずれも否定された。その他に、ATP、蛋白同化ホルモン、止血剤なども使用されたが、これらは本症治療の本質に結びつくものではない。わが国では、現在でも副腎皮質ホルモンを投与している研究者もあるが、その効果を認めるに足る十分なデータはない。また同時に、完全に否定できる絶対的な根拠にも乏しいのが現状といつてよかろう。もつとも、現在では球後注射、球結膜下注射などの局所投与が行われている。著者も以前には使用したが、全身におよぼす悪影響との得失を考慮した上、現在は使用していない。」と述べ、また同旨の証言をしている。
(六) 前記植村恭夫は、副腎皮質ホルモン剤等の投与は、未熟児の全身的な面に及ぼす不利益の方が大きいという理由から小児科医の異議が出ていること、また、自然治癒と右薬剤投与による治療効果との間の区別の判定が困難ということもあり、次第に慎重になつてきており、使用する人は少なくなつていると証言している。
(七) 日本大学医学部(小児科)教授馬場一雄は、副腎皮質ホルモン剤の投与については、患児に髄膜炎や敗血症を併発させ易い危険があること、またACTHについても、副腎不全の状態にある新生児にこれを使用することによりシヨツク死を招くおそれのあることが知られており、自分としては本症に対して右薬剤を使用した経験がない旨証言している。
以上によれば、現在では、本症の治療法としての副腎皮質ホルモン剤等の薬物療法は副作用を伴う危険の方が大きいこと、また自然治癒との区別がつきにくいところから積極的な治療効果があると確認されるに至つていないこと等の理由により、本症の研究者ないし臨床医家の間では殆ど支持されなくなつていることが認められる。
以上の観点よりすれば、本件事故発生当時において、本症の患児に対しステロイドホルモン剤の投与を指示することは眼科医としては極めて常識的な処置に属するものであつたということができるとしても、本症に対する右薬剤治療の効果につき殆ど積極的評価の与えられていない今日の時点においては、被控訴人伸二の本症の病変進行を阻止するため下出医師としてはもつと早期にステロイドホルモン剤の投与を指示すべきであつたかどうかにつきこれを詮索することは、同医師の診療上の過失を認定するうえでは、もはや意味がないといわざるをえない。
二被控訴人伸二の天理病院転送上の過失の有無について
すでに認定したように(原判決理由第二、一、(二)、7以下末行までの記載を引用する<編注、本誌三〇七号一一〇頁二段から三段>。)、被控訴人達彦及び同佳子らは、昭和四五年三月九日下出医師の指示をうけ、同月一七日被控訴人伸二を天理病院に移し、同院において永田誠医師の診察をうけさせたのであるが、同医師の診断によれば、同伸二の右眼はすでに瘢痕期に入り、左眼はオーエンスⅢ期の晩期であり、両眼とも光凝固治療の適期を過ぎ、光凝固を施すことのできない状態で、一応光凝固治療は施行されたが病変の進行を阻止しえず失明に至つたものである。
ところで、<証拠>によれば、下出医師が昭和四五年二月二六日被控訴人伸二の眼底検査をしたところでは、両眼底の周辺に灰色組織の存在を認めており、永田医師が同伸二を診察した所見からいつても、この段階では、左眼についてはともかく、右眼はすでにオーエンスⅣ期位に入りかけていたのであるから、右眼については、光凝固を施行すべき時期を失していたものである。
さらに、前掲証拠によると、下出医師は、同年二月一二日伸二の眼底検査をした際、「血管の怒張・迂曲著明で血管は両側とも赤道部辺りで血管形成が進展しないで伸びないで怒張迂曲しています。一部小出血あり」との病変を確認しており、永田医師の所見によれば、右段階はオーエンスのⅡ期からⅢ期へ移行する時期を示すものであつて、光凝固を施行するのであれば、同日から三週間内(すなわちおそくとも同年三月三日ころまでの間)になされなければならなかつたというのであるから、右期間内に光凝固治療をうければ、伸二の両眼が失明を免れることができたであろう可能性は大であるということができるのである。
してみれば、被控訴人らが下出医師から天理病院への転医することの指示をうけた昭和四五年三月九日の段階では、客観的には光凝固治療をうける時期をすでに過ぎておるのであるから、下出医師の右医師としての指示は、被控訴人伸二の本症に対する診療として殆ど無意味なものであつたことが明らかである。そうとすれば、このような指示をした下出医師の責任の有無が問題とならざるを得ないのである。
しかしながら、同医師の責任の有無を問うには、その前提として、
① 光凝固は本症に対して有効な治療法であるか
② 下出医師が被控訴人伸二の診療に当つた当時、光凝固は本症の治療方法として眼科医において一般的に採用されていたかどうか
③ 右当時、控訴人病院において光凝固を容易に採用(転医をも含め)しうる状況にあつたかどうか
等の諸点が検討されなければならない。
1 本症に対する光凝固治療の有効性について
(一) <証拠>によれば次のとおり認められる。
光凝固とは、太陽光線を凸レンズに集め、黒い紙の上に焦点を結ばせると紙が燃えだす。この原理を眼科疾患の治療に応用したものといわれる。この眼科にのみ特有のいわば光のメスは、初め網膜剥離の治療(網膜裂孔閉鎖術)に適用されたが、次第に技術の改良・進歩に伴い種々の眼底疾患の治療に応用範囲が拡大し、昭和四二年の第二一回臨床眼科学会において永田誠医師らが、本症の活動期に対して光凝固を実施し奏効したことを報告したことにより、初めて本症に対する治療法として注目されるようになった。
永田医師らは、その後も本症に対する光凝固治療の研究を継続し、昭和五〇年末までに同医師らの所属する天理病院において実施した本治療による症例八七例についてこれを分析総合した研究結果によれば、光凝固治療の適応とその限界は、概略次のとおりであることが明らかにされている。
すなわち、本症は、臨床経過、予後の点からみて、ゆつくりと経過し予後の比較的良好なⅠ型と急速に進行して予後のきわめて悪いⅡ型ならびに両者の病態を併有する混合型の三種に類別されるところ、Ⅰ型は大多数が自然治癒するので光凝固は活動期Ⅱ期においては適用されるべきではなく、少なくとも活動期Ⅲ期の中期まで病変の慎重な観察が必要である。このような観点からすれば、これまで光凝固治療を実施した症例で、1度程度の瘢痕で治癒する可能性のある場合もかなり含まれているのではないかと反省されている。
他方、Ⅱ型は、光凝固治療を加えないで放置すると、まず絶対に失明する重症例であるが、このような症例は光凝固によつても必らずしも全例治癒するとは限らない。生下時体重が極端に小さく、在胎週数も短く、酸素投与日数が長びいている症例では全身状態が許せば保育器の中にいるときから眼底検査を試みて眼底所見の動向をしつかりと把握しておくことが最も大切である。初回の眼底検査は遅くとも生後三週目には行われなければならない。このような例ではヘイジイ・メディア(中間透光体の混濁)のため生後一〜二週間は眼底がきわめて見えにくいが、眼底がはつきり見えるようになつたとき、すでにⅡ型の特徴的所見がみられることが多いので、診断確定次第全身状態が許せば直ちに光凝固治療を開始した方がよい。
混合型は、活動期Ⅲ期の初期までに治療を行えば殆ど1度PHCの瘢痕で治癒し、弱視を残すことはない。このような例では、たとえ自然治癒しても必らず2度以上の瘢痕を残すので視力保全のための光凝固絶対適応例といえる。ただ、混合型の症例は経験を積まないと判別は容易ではない。
総じて光凝固治療においては、適応時期の選択が重要であるが、殊にⅡ型及び混合型においては、それが治療の成否を左右する。ただ、患児の一般状態が悪く高濃度の酸素投与が極めて長期に行われ、網膜血管の退縮消失があまりにも著しい場合などには光凝固によつても救いがたい症例の出現する可能性が考えられる。
このような観点からすれば、未熟児の全身管理があたかも健康な胎内にあると同様に理想的に行われたならば本症による失明は殆ど起らないか、あつても極めて稀な例外的な事態となるであろうことは恐らく確実である。しかし、現実の管理施設が十分でないこと、全身管理の中心的課題となつている血中酸素濃度の持続的コントロールについても未解決の問題点がなお多く残されている以上、若干数の未熟児網膜症の発生は不可避であり、これを自然経過にまかせて放置すればそのうちの少数例は将来の弱視あるいは失明を免れないであろう。光凝固治療はもとより万能ではないが、本症の発症予防対策が完成されるまでの過渡的治療として意義ある存在である。
(二) 前記(一)においてみたような永田医師らの光凝固治療に対する見解については、多くの本症の研究者から様々の意見、評価が発表されているが、<証拠>を総合すると概略次のとおりであることが認められる。
本症に対する光凝固治療について、研究家の間で現在ほぼ一致して確認されているのは、治療の時期、部位、方法等につき若干の異見はあるとはいうものの、軽度ないし中等度の未熟児網膜症は、光凝固により即座に頓挫治癒せしめうること、そして、光凝固を実施したことにより合併症がおこつたり、悪影響が現われたような事例は現在のところ知られていないということである。
しかしながら、近年もち上つてきた反省は、光凝固で治癒せしめうる未熟児網膜症は、元来放置しても自然治癒したはずであり、(因みに、本症の発症率及び治癒率は別紙三のとおり。)。光凝固は単にその治癒過程を短縮しただけに留まるのではないかという点にある。すなわち、放置すれば失明または重篤な視機能障害に至つたであろういわゆる本症のⅡ型ないし混合型について光凝固が果して有効でありうるかという問題である。しかるに、研究者の間では、このような重篤例に遭遇する機会は著しく稀であるため(因みに、名鉄病院田辺医師は、光凝固治療実施症例一〇〇例中に遭遇したⅡ型は五例位であり、混合型は一〇例位であつたと述べている。)。右の問題を十全に解明するに必要な症例経験としては極めて限られているという難点がある。
一方、光凝固を行つた患眼のやや長期にわたる観察では、半年以上経過すると、凝固斑は網膜・脈絡膜全層を貫通する組織欠損となり、凝固斑の中に真白な強膜が露出している事実がしばしば観察されるのである。かようにして、発育途上の眼に光凝固を加える結果、眼球そのものの発育が阻害されるのではないかとか、あるいはまた、強膜・脈絡膜・網膜・硝子体それぞれの微妙な発育のバランスが光凝固により干渉され、遠い将来には現在は予想もできない形での合併症がおこるのではないかという危惧が払拭されえないのである。
以上のような観点からすれば、本症に対し無差別に光凝固で処理するというのはまさに暴挙というべきであり、放置すれば非可逆的な障害の予見される場合のみに限つて本治療法を行うべきである。加えて、光凝固治療については、その技術的特性にかんがみ、専門研究家の実施に委ねるべきであつて、一般的な方法として実地医家が応用しうる段階には至つていないものである。
(三) 以上の次第で、本症に対する光凝固治療は、なお解明すべき問題を多く包蔵しているとはいうものの、その有効性については医学界並びに臨床医家の間に確認されているものということができるのである。
2 本件当時(昭和四五年初め)における光凝固治療法の普及度
前記1において述べたとおり、本症に対する光凝固治療の有効性が確認されるに至るまでには、永田医師が昭和四二年の眼科学会で本治療法を提唱して以来、同医師を初めとして各地における多くの研究家の追試がなされたのであるが、次に右追試の経緯並びに各研究家の研究成果の発表を年次毎に追跡し、以て、下出医師が被控訴人伸二の診療に当つていた昭和四五年初め光凝固が本症の治療法として眼科医一般に如何なる程度に普及していたかを究明する。
<証拠>を総合すると以下の事実を認めることができる。
(一) 前記永田誠医師他三名は、継続的に眼科的管理を行つていた未熟児のうち、昭和四二年三月及び五月わが国で初めて光凝固治療を実施した二例について昭和四三年四月医学界の専門誌である「臨床眼科」二二巻四号誌上の「未熟児網膜症の光凝固による治療」と題する論文により次のとおり発表した。
「生下時体重一四六〇gおよび一五〇〇gの未熟児2名をやむを得ず酸素を使用して哺育し、継続的な眼底検査を行う間にオーエンスⅡ期からⅢ期へ移行して進行する未熟児網膜症活動期病変を観察し、その網膜周辺部の限局性滲出性病変と新生血管に対して全麻下に光凝固術を施行し、頓挫的に病勢の停止することを経験した。その後の観察により眼底は周辺部の光凝固の瘢痕以外はほぼ正常である。本症には自然寛解があり、光凝固施行の時期には問題があると思われるが十分な眼底検査による経過観察により適当な時期を選んで行えばあるいは重症の未熟児網膜症に対する有力な治療手段となる可能性がある。」と報告した。
(二) 永田医師は、次いで昭和四三年一〇月臨床眼科医師多数に購読されているといわれる雑誌「眼科」の一〇巻一〇号誌上においても「未熟児網膜症の光凝固による治療の可能性について」と題する論文において、前記(一)のとおり光凝固治療を実施した二例についての経過を発表した。
(三) 永田医師は、さらに、昭和四四年一〇月二五・二六日岐阜市内において開催された第二三回日本臨床眼科学会において、「未熟児網膜症の光凝固による治療 第2報―4症例の追加ならびに光凝固適用時期の重要性についての考察―」と題する講演を行い、先に報告した二例の後に実施した光凝固治療四症例について追加報告をした。
(四) 永田医師は、昭和四五年五月、前記のとおり第二三回日本臨床眼科学会においてなした講演内容の詳細を「臨床眼科」二四巻五号誌上の「未熟児網膜症の光凝固による治療Ⅱ―四症例の追加ならびに光凝固療法適用時期の重要性に関する考察―」と題する論文において発表した。
(五) なお永田医師は、その後も引き続き光凝固治療を実施したが、前記(四)に続く研究報告としては「臨床眼科」二四巻一一号(昭和四五年一一月号―「未熟児網膜症」と題する論文)があり、さらに、昭和四七年三月、初回の光凝固治療実施以来五年経過した時点で、その間において実施した二五例全部についての総括的報告を次の論文で行つた(「臨床眼科」二六巻三号―「未熟児網膜症の光凝固による治療Ⅲ―特に光凝固実施後の網膜血管の発育について」と題する論文)。
殊に後者の論文では、最も理想的な光凝固施行時期はオーエンスⅢ期よりもオーエンスⅡ期の終りということができること、各症例における光凝固実施の要不要に関する判別はきわめて厳重なものでなくてはならず、そのためにはかなり早い病期からの継続的経過観察と的確な判断を下すための知識と経験の蓄積が必要であることが強調され、加えて、治療の不成功例も紹介された。
(六) これより先、昭和四四年一〇月二七日〜二九日東京において第一回光凝固研究会が開催され、「臨床眼科」二四巻二号(昭和四五年二月発行)誌上にその報告記が掲載されたが、右研究会は、成人・乳幼児ないし新生児を含む眼疾患に対する光凝固治療一般についての啓蒙を目的とするものであり、未熟児網膜症のみを対象としたものではない。
これに続くものとして、名鉄病院の池間晶男医師は、同年三月「現代医学」一七巻二号において、最近の眼科学会における画期的な療法として光凝固法の登場があり、未熟児網膜症の分野にもその適応が及んでいることを簡潔に紹介している。
(七) 右と相前後して、昭和四五年二月、関西医科大学小児科医師岩瀬帥子他四名は、「小児外科内科」二巻二号誌上の「未熟児網膜症の発生要因と眼の管理について」と題する論文において「……最近光凝固法による治療法が提唱されているが、われわれは症例を経験していないので価値を論ずることはできない」と述べ、本症に対する光凝固治療につき言及はしているが、その効果についての評価を避けている。
(八) 国立小児病院眼科植村恭夫医師は、昭和四〇年一一月国立小児病院創設と同時に本症の研究に着手し、爾来本症に関する研究成果を専門誌に多数発表するとともに、眼科・小児科・産科各界の医師に対し本症に関する啓蒙並びに右三専門領域の医師が相互に緊密な連繋をとつて本症の予防・治療にあたることの必要性を訴え続けてきた医師の一人であるが、昭和四五年四月「日本新生児学会雑誌」六巻四号誌上の「未熟児網膜症」と題する論文において、「……光凝固の開発により未熟児網膜症は早期に発見すれば失明をださずにすむことがほぼ確実となつた。従つて、未熟児の眼管理を普及徹底するとともに、光凝固による治療を可能ならしめるための麻酔医、産科医、小児科医と眼科医の密なる連繋を作るように努力すべきである。」と述べている。
(九) 株式会社中外医学社が、昭和四五年一一月三〇日発行した「専門医にきく今日の小児診療」(加藤英夫・大国真彦編集)中には、<水晶体後部線維増殖症の予防と治療>と題する箇所(同書三七四頁)で、国立小児病院新生児未熟児科医師奥山和男は、本症の治療法として酸素濃度の漸減法及びブレドニゾロン投与等の効果について論じているが、光凝固法について全然言及していない。
(一〇) 植村恭夫医師は、昭和四六年三月、「小児外科・内科」三巻三号誌上の「未熟児網膜症」と題する論文(五二頁)において、従来、本症の初期病変を捉えた場合、ACTH、副腎皮質ホルモン投与にて経過をみる以外に方法がなかつたが、光凝固法の登場により、より有効な治療の武器が与えられ、難治の本症にも、その前途に光明が与えられるに至つたと述べている。
(一一) 関西医科大学眼科教室上原雅美医師他二名は、昭和四六年四月、「臨床眼科」二五巻四号誌上の「未熟児網膜症の急速な増悪と光凝固」と題する論文において、過去三年三か月間に同眼科教室において観察した未熟児の眼底二六二例中、二四例に本症の発生を認め、そのうち二例及び他院からの紹介三例合計五例に対し光凝固治療を実施したところ、永田誠医師が右「臨床眼科」誌上に発表したところにほぼ近い治療効果を得たことを報告している。
(一二) 永田誠医師ら六名は、昭和四六年六月、「日本新生児学会雑誌」七巻二号誌上の「天理病院における未熟児網膜症の対策と予後」と題する論文において、同病院で過去四年一か月間に観察した未熟児一六五例中、本症活動期病変第Ⅲ期に至つた五例及び他院からの紹介一〇例について光凝固治療を実施し、手術時期を失した二例を除くその余は良好な成績を得たことを報告している。
(一三) 関西医科大学眼科教室教授塚原勇は、医学書院発行(昭和四三年七月一〇日第一版第一刷、昭和四六年八月一日第二刷)にかかる新生児学叢書8「新生児の脳と神経」中の「Ⅲ治療」の箇所(同書二〇二頁)において、光凝固治療について言及し、「最近光凝固法により網膜周辺の血管新生、網膜病巣を熱凝固することにより病勢の進行を阻止し得た症例がある。着想は興味深いが、症例数も少なく、術後の観察期間も短いので治療法としての価値の判定はさらに今後の問題である。」と述べている。
(一四) 九州大学医学部眼科学教室医師大島健司ら六名は、昭和四六年九月、日本眼科紀要二二巻九号誌上の「九大における未熟児網膜症の治療と二、三の問題点」と題する論文において、昭和四五年一月一日から同年末までの一か年間に九大附属病院及び国立福岡中央病院の未熟児室に入院した者並びに九大眼科外来を受診した者につきそれぞれ二三例につき光凝固による治療を行つた結果を報告している。
(一五) 国立小児病院新生児未熟児科医師奥山和男は、昭和四六年一一月、「日本小児科学会雑誌」七五巻一一号誌上の「未熟児網膜症の予防と対策」と題する論文において、「……未熟児網膜症に対する光凝固法は、永田らが世界に先がけて開発した方法であり、現在唯一の有効な治療法であることが各施設で確認され、本症の前途に明るい光が投ぜられたのである。……(中略)光凝固装置は高価であり、すべての未熟児施設に備えることは困難であるが、永田も提唱しているように、各地区ごとに本装置を備えている病院を中心に、未熟児網膜症の治療組織が出来上ることが望まれる。」と説いている。
(一六) 名鉄病院眼科田辺吉彦医師は、永田医師が本邦において初めて未熟児網膜症に対し光凝固治療を実施した旨の前記(一)の論文の示唆をうけて、昭和四四年一一月八日に光凝固治療を行つたのを手始めに二五例を実施し、その成果等について昭和四六年一一月「現代医学」一九巻二号誌上に発表した。そこで同医師は、光凝固治療を実施した二五例のうち、二例の不成功を除き他は全例著効を奏したことからみて、適当な時期に行えば光凝固はまず確実に治療せしめることができること、しかし、光凝固は始つて僅か四年であり、未熟な眼への侵襲が成長するにつれてどのような影響を及ぼすかについてのデータのない以上今後経過追跡が大切であると述べている。
(一七) 株式会社中山書店の昭和四六年一一月三〇日発行にかかる「現代産科婦人科学大系 20B 新生児学各論」(東北大教授鈴木雅洲他二名編集)中の「後水晶体線維増殖症」につき執筆した日本大学医学部教授馬場一雄他一名は、未熟児に特有な疾患として同症に触れ、そしてその治療について、酸素濃度の段階的減圧並びに副腎皮質ホルモン剤等の投与等を指摘しながらも(同書七〇頁)、光凝固法については全然言及していない。
他方、同書の新生児の眼疾患について執筆した植村恭夫医師は、未熟児網膜症の概説をしたのち、治療法として、光凝固法が手術療法として用いられることを述べている。
(一八) 国立大村病院眼科医師本多繁昭は、昭和四七年一月、「眼科臨床医報」六六巻一号誌上の「未熟児網膜症にたいする光凝固並びに凍結凝固の経験」と題する論文において、昭和四五年七月から昭和四六年六月までの間、国立大村病院未熟児センターに入室した一二〇名について眼科的に定期的眼底精密検査をし、そのうち、一〇例について光凝固または凍結凝固を実施し、本症の進行を停止治癒させることができた旨の報告をしている。
(一九) 市橋保雄ら五名の編集にかかる「あすへの小児科展望」(金原出版株式会社昭和四七年二月二〇日第一版発行)では、永田誠医師らが、昭和四五年五月「臨床眼科」二四巻五号誌上で発表した「未熟児網膜症の光凝固による治療Ⅱ―四症例の追加並びに光凝固療法適時期の重要性に関する考察」と題する論文の要旨を掲載している。
(二〇) 永田誠医師他二名は、「臨床眼科」二六巻三号(昭和四七年三月発行)誌上の「未熟児網膜症の光凝固による治療(Ⅲ)―特に光凝固実施後の網膜血管の発育について―」と題する論文において、昭和四二年一月から昭和四六年四月までの五年間天理病院において施行した光凝固治療二五症例の総括的報告を行い、「今や未熟児網膜症発生の実態はほぼ明らかとなり、これに対する治療法も理論的には完成したということができるので、今後はこの知識をいかに普及し、いかに全国的規模で実行することができるかという点に主なる努力が傾けられるべきではないかと考える次第である。」と結んでいる。
(二一) 昭和四七年五月、名鉄病院の田辺吉彦・池間両医師は、「日眼会誌」七六巻五号に、昭和四四年三月以降昭和四六年六月に至る期間に同病院において未熟児二三名につき本症に対し光凝固治療を実施したこと(因みに昭和四四年末までは四例)を報告し、併せて本症はオーエンスの活動期ステージⅢの初期までに光凝固を行えば、ほぼ確実に治療させることができると述べている。
(二二) 国立小児病院眼科医長植村恭夫医師は、昭和四七年四月「小児科」一三巻四号誌上において光凝固又は冷凍凝固治療法の登場は、本症の予後を大きく変えたことが事実であることは認めながらも、大部分が自然治癒すること、年間発症一〇〇例中三例位にみられる重症瘢痕例が光凝固又は冷凍凝固治療の対象となるにすぎないことを指摘している。
(二三) 植村恭夫は、昭和四七年六月「小児科臨床」二五巻六号誌上の「未熟児網膜症―眼科医の立場から―」と題する論文において、本症に対する光凝固治療は、病理組織学的には光凝固による網膜組織の障害が認められることから慎重にならざるを得ないが、現行の治療法として光凝固や冷凍凝固にまさるものはなく、この治療法の普及によつて本症により失明や弱視は救われるものと考えると述べている。
また、奥山和男ら三名は右と同じ雑誌上の「未熟児網膜症と酸素療法―小児科医の立場から―」と題する論文において、光凝固治療が本症に対して有効であることが各施設で認められている旨指摘している。
(二四) 九州大学医学部眼科学教室講師大島健司は、昭和四七年六月「眼科」一四巻六号誌上の「未熟児網膜症の臨床上の問題点」と題する論文において、現在まで本症の治療法として挙げられたものは、ビタミンE、C、P、副腎皮質ホルモンなどの薬物療法と光凝固による物理療法であるが、活動期病変に対しては、現在までの薬物療法はその進行をとめることはあまり期待できないこと、これに反し、光凝固は最も有力で、それが適当な時期に施行されれば、後極部網膜に影響を及ぼすことなく、この網膜症を確実に治癒にもおもむかせることができると述べている。
(二五) 兵庫県立こども病院小児科及び眼科の医師ら田淵昭雄他四名は、昭和四七年七月「臨床眼科」二六巻七号誌上の「兵庫県立こども病院における未熟児の眼科的管理(その2)」と題する論文において、昭和四五年五月五日以降昭和四六年八月三一日に至る間に収容した未熟児一〇八名のうち一〇名に対して光凝固治療を行つたところ、八名は本症の進行を阻止し得、満足すべき結果を得たことを報告し、これに付加して、現在のところ光凝固による治療が最も有効な治療であるが、光凝固による網膜の組織学的変化が著しいことからこういつた網膜の器質的変化をきたさない治療をさらに検討する必要があると述べている。
(二六) 田淵昭雄は、昭和四七年九月、「日本眼科学会雑誌」七六巻九号誌上の「未熟児網膜症の眼病理」と題する論文において、本症の治療面においては、一九六八年永田が光凝固術を本症にはじめて導入して以来、本術は有効な治療法として高く評価されている。しかし光凝固術あるいは冷凍術にしても、これらはたとえ網膜の周辺であつても網膜の一部に損傷を残して治癒するものであるから、本症の根本的予防、治療という点からは程遠いという評価をしている。
(二七) 昭和四七年一一月発行の「眼科臨床医報」六六巻一一号誌上に掲載された第六八回中国四国眼科学会(昭和四六年九月二六日広島市で開催)の研究発表では、県立広島病院の野間昌博医師ら三名が、昭和四五年一月から昭和四六年八月中旬までの間県立広島病院に収容中の未熟児八三例を観察し、そのうち一二例について光凝固治療を行い効果を収めたこと、また、愛媛県立中央病院の宮本博亘医師は、昭和四五年五月から昭和四六年九月までの間に同病院に収容した未熟児一一六名中、二名を徳島大学へ紹介し光凝固の治療を受けさせ、瘢痕期一度で治癒した旨の報告がなされている。
(二八) 鳥取大学医学部眼科学教室瀬戸川朝一医師他二名は、昭和五〇年一月「眼科臨床医報」六九巻一号誌上の「未熟児網膜症に対する光凝固術例」と題する論文において、昭和四五年三月から昭和四九年六月までの間、同眼科教室外来及び鳥取大学附属病院未熟児センターで診察した患児五四例中五例(七眼)について光凝固治療を実施したところ、五眼につき症状固定もしくは治癒におもむき、二眼は無効であつた旨報告している。
(二九) 名古屋市立大学眼科学教室馬嶋昭生教授他四名は、昭和五一年一月、「臨床眼科」三〇巻一号誌上の「未熟児網膜症に対する片眼凝固例の臨床経過について」と題する論文において、昭和四七年六月以降他の医療機関からの紹介例を含む二五例に片眼凝固を行つた成果を報告したうえ、晩発性合併症の発生を考慮すると、光凝固実施の時期、方法についてはなお今後の研究にまたねばならないが、著者らは少なくとも本症Ⅰ型においてステージ2での凝固には賛成できないと述べている。
(三〇) 前記馬嶋昭生教授は、同年三月「産婦人科の実際」二五巻三号誌上の「未熟児網膜症―その本態、予防および治療―」と題する論文において、光凝固法について、右治療法は永田医師が成功を収めて以来、著者も昭和四六年以降約八〇例について光凝固法を施行したほか、わが国で多くの追試が行なわれており、現在では欧米でも行なわれていること、今日では確立された治療法としてその効果を疑うものはないが、本症治療の歴史が浅いこと、対象が将来成長する未熟児であることなどから、長期にわたる経過観察が十分に行なわれるに至つていないところに一つの問題があること、このことが本法施行の時期、方法についてなお議論がある所以であると述べている。
(三一) 「眼科」一八巻一〇号(昭和五一年一〇月)誌上に掲載された「未熟児網膜症に関する諸問題」と題して国立小児病院眼科の桐淵光智医師他三名の医師らの行なつた座談会では、本症Ⅱ型については光凝固治療もその方法及び効果に関してまだ未解決の問題が山積していること、これは光凝固の作用機序が判然としていないためでもあること、光凝固治療によるマイナス面は今後一〇年、二〇年の経過を観察しないとわからないこと等が報告されている。
以上の認定にかかる光凝固治療法の普及の経緯をみるに、永田医師が右治療法を実施し、その成果を昭和四三年四月眼科医学の専門誌である「臨床眼科」二二巻四号に発表してから、これに続いて、まもなく関西医科大学眼科教室、九州大学医学部眼科学教室、名鉄病院眼科、国立大村病院眼科、兵庫県立こども病院、県立広島病院、鳥取大学医学部眼科学教室、名古屋市立大学眼科学教室等本症についての専門的研究者の間においてそれぞれ光凝固治療法についての追試が行なわれるに至つたことが明らかである。もつとも、右各追試の結果が発表されたのは、いずれも昭和四六年四月以降であり、それ以前の段階では、昭和四五年四月植村恭夫医師が眼科学界の専門誌上に右治療法を好意的に紹介したほかは、医学専門書において本症がとりあげられても、その治療法としての光凝固法については全然触れられていないか、あるいは、本症についての専門的研究者が右治療法について言及した場合であつても、その効果について積極・消極いずれとも判断できないことを言い添えている程度であつたことが認められる。
してみれば、昭和四四年末ないし昭和四五年初めにおいては、光凝固治療は、本症についての先駆的研究家の間で漸く実験的に試みられ始めたという状況であつたにすぎず、況して、一般の眼科臨床医家の間においては、本症並びにその治療法につき特別の関心を抱いていた者を除いては、右治療法に関する正確な知識は殆ど普及していなかつたことが推認される。
そうだとすれば、後記認定のとおり、控訴人病院における一般眼科の診療に従事していたにすぎない下出医師が、仮りに光凝固実施のために被控訴人伸二の転医を指示しなかつたとしても、これについて何ら責められるべき筋合はなかつたといえる。
しかるに、すでに認定したとおり、下出医師は、時期を失したとはいえ被控訴人伸二の本症に対し光凝固を実施するため天理病院への転医を指示したのである。しかりとすれば、同医師の右指示が、果して光凝固の専門技術的知識に基づいての判断であるのかどうかが次に問われなければならない。
けだし、同医師が、偶然にもせよ光凝固に関する専門的知識を有していたものとすれば、右知識の十全なる活用によつて患者の治療に当るべき義務を負つていることは、医療行為が本来医学的法則に基づきなされなければならないことからしても当然であつて、医師に対して求められる右のような高度の注意義務を怠るならば、これにより招来した結果につき責任を免れえないからである。
そこで進んで、以下、光凝固実施にあたつて要求される専門技術性の範囲続いて下出医師が本件当時、右について如何なる程度の知見を有していたかについて検討することとする。
3 光凝固実施について要求される専門技術性について
すでにみたように、光凝固法は、現在においてすら、専門研究者でないとその実施は困難であるといわれているが、仮りに一般眼科医が本症の患児を専門研究者に転送するにしても、少なくとも以下に述べるような専門技術性が随伴し、事態が必らずしも容易でないことを示しているのである。
(一) 実施時期の決定
(1) 永田医師は、前記「臨床眼科」二二巻四号(昭和四三年四月)誌上の「未熟児網膜症の光凝固による治療」と題する論文において、光凝固の実施時期については、結論として、「本症には自然寛解があり、光凝固施行の時期には問題があると思われるが十分な眼底検査による経過観察により適当な時期を選んで行なえばあるいは重症の未熟児網膜症に対する有力な治療手段となる可能性がある。」と述べ、「今後の方針としては未熟眼底を呈する未熟児には定期的な眼底検査を行なつて網膜症の進行を監視し、活動期Ⅱ期に入ればまずステロイド療法を施行し、またもしⅢ期に移行してゆく症例があればその進行状況を確かめたうえで、網膜剥離を起す前に周辺部の滲出性病巣を新生血管とともに光凝固で破壊することを行なうつもりである。」と一応具体的な実施時期に言及してはいたが、この段階では、研究が緒についたばかりで、さ程明確な指摘というには至つていなかつたものと認められる。
(2) 永田医師は、前記論文に続いて、「臨床眼科」二四巻五号(昭和四五年五月)誌上の「未熟児網膜症の光凝固による治療Ⅱ―4症例の追加ならびに光凝固治療適用時期の重要性に関する考察―」と題する論文において、この治療法を全国的な規模で成功させ、わが国から未熟児網膜症による失明例も根絶するためには、「第一に未熟児網膜症活動期病変の実態とその意義をすべての小児科医、産科医、眼科医が十分に認識して熱意をもつて未熟児の眼科的管理を行なう必要がある。第二に眼科医が生後一か月から三か月までの最も危険な時期における網膜周辺部の観察を完全に行なうことである。決して直像鏡のみによる眼底検査で満足してはならない。第三に未熟児網膜症の活動期病変を発見したならばその病変の経過を注意深く追い、オーエンスⅢ期に突入して進行をやめぬ場合には時期を失わぬうちにみずから光凝固を行なうか、光凝固実施可能な病院に紹介すべきである。またこのさい麻酔医の全面的な協力が必要である。」と述べ、実施時期・方法等につきより具体的な指摘をなした。
(3) しかしながら、その後相次いで行なわれた光凝固の追試ないし本症に対する研究が進んだことにより判明したところによれば、すでに認定したように、本症にはⅠ型、Ⅱ型、混合型の活動期病変の進度の異なるもののあることが明らかにせられ、それに応じて、光凝固実施時期についても各症状に相応して決定せられなければならないこととなつた。
のみならず、<証拠>によれば、名古屋市立大学眼科学教室馬嶋昭生医師他四名は、「臨床眼科」三〇巻一号(昭和五一年一月一五日発行)誌上の「未熟児網膜症に対する片眼凝固例の臨床経過について」と題する論文において、光凝固法の追試研究者がそれぞれ発表した光凝固の実施時期を網羅しているが、これによると、「活動期Ⅱ期」、「Ⅱ期からⅢ期に移行した時期」、「Ⅱ期の終りからⅢ期」、「Ⅲ期」、「Ⅲ期のはじまり」、「Ⅲ期の初期までに」、「Ⅲ期の初期」、「新生血管の硝子体進入以前」とあつて、専門研究者の間でも実施時期についてはかなりの相違がみられ、その画一的決定が容易でないことが窺われるのである。
<証拠>によれば、かようにして、叙上の混乱した事態を拾収するために、慶応大学医学部眼科教授植村恭夫他一一名の合同研究により昭和四九年においてまとめられた「未熟児網膜症の診断および治療基準に関する研究」により光凝固治療時期についてわが国における一応の統一的見解がまとめられるに至つたものである。
(二) 活動期病変の診断基準
<証拠>によれば次のとおり認められる。
本症の臨床経過の分類にはオーエンス等四名の分類法が知られているが、わが国における本症の研究者ないし臨床医家は概ねオーエンスの分類法に準拠して本症の発症率自然治癒率、光凝固、冷凍凝固の適応・限界等を論じ、診断してきたが、オーエンスの分類法は一九五四(昭和二九)年に発表されたもので、本症の原因が酸素によるものであることが明らかにされる以前、その原因究明の研究途上において本症の臨床経過よりその分類が行なわれたものであること、当時としては直像鏡方式による眼底検査によつて眼底病変を観察し記録していたため、病変の把握の仕方が不正確であるのみならず一部には誤りさえ看取されること、しかも現在判明しているいわゆるⅠ型、Ⅱ型の病変を区別せず混淆させていること等の欠陥があり、本症の研究上及び臨床上からも医師相互間の了解を確立する必要があり、こうしたことからわが国における統一的な分類法の確立が検討され、その統一見解が前記の「未熟児網膜症の診断および治療基準に関する研究」報告書に発表されたのであつた。
(三) 未熟児の眼底検査による病変把握
すでに述べたように、永田医師によれば、光凝固を実施するには未熟児の網膜周辺部の綿密な観察を行ない、活動期病変の経過に注意を払うことが肝要とされるところ、<証拠>によると、次のとおり認められる。
未熟児の眼底検査は、大学医学部学生はもちろん、医師免許取得後も殆どその機会のないのが通例であり、近年に至り、ようやく小児科専門病院において未熟児診療に当る眼科医ないし小児科医が特別な訓練を受けられるようになつたものである。それまでは、本症に特別の関心ある少数の眼科医が自発的に修練を積み、技術を修得するという状態であつた。加えて、未熟児の眼底検査は極小未熟児ほど生後暫期間は殆ど実施困難であり、実施可能となつても熟練していないと十分な観察ができない。右のような次第で、光凝固を実施し右治療法の発展に寄与した先駆的研究者はいずれも数多くの症例を観察し、その中から光凝固治療を必要とする患児数十例を選別し、これらについて治療を実施しているものであり、こうした臨床体験の積重ねにより初めて当該患児について光凝固実施の適否とその実施時期について適切な判断が可能となるものであつて、眼科医でありさえすれば、直ちに本症に対し光凝固の実施ができるというものでないことは明らかである。殊に本症の病変についてⅠ型、Ⅱ型、混合型の存在することが確認されていなかつた時期にあつては、急激な症状の進行を呈する患児に遭遇した場合には、先駆的研究者の間においても未経験からくる試行錯誤のあつたことは容易に推認することができるし、現時点においても、いわゆる激症型に対する光凝固治療の奏効性については専門家の間でも評価の分れるところである。
(四) 以上(一)ないし(三)において考察したところを総合すると、光凝固治療は、医師の側に特殊専門的技術の修得と数多くの臨床経験があつて初めて科学的批判に耐えうる実施が可能となるということができるのであり、このことが、わが国眼科医学界において実現されたといいうる時期としては、すでに認定したとおり、光凝固治療がわが国眼科医学界並びに臨床医家(しかも、本症について専門的に研究している者にのみ限られる。)の間に普及定着したと考えられる昭和四七年以降であつて、それ以前においては一般臨床眼科医はもとより、医療施設の相当完備した総合病院ないし大学医学部附属病院においても光凝固治療を一般的に実施しうる状態ではなかつただけでなく、患児を光凝固実施可能な医療施設へ転医させるにしても、その時期を的確に判断することを一般的に期待することも無理な状況であつたといわざるをえない。
4 本件当時における下出医師の本症並びに光凝固についての知見の程度
<証拠>によると次のとおり認めることができる。
下出きよ子医師は、昭和二五年七月医師免許を取得してから、同年八月岐阜県立大学医学部附属病院眼科教室へ入局したのを初めとして、同附属病院、国立福山病院眼科、岐阜県関ケ原病院眼科、岐阜大学医学部附属病院眼科教室に順次勤務したのち、昭和三五年七月以降控訴人病院眼科に勤務し今日に至つているものであり、同病院における眼科診療はすべて同医師が担当している。従つて、眼科が同医師の専門診療科といえるのである。
ところで、控訴人病院においては昭和三二年ころいわゆる未熟児センターが開設されたが、近代的設備が完成したのは昭和四三年になつてからであり、本件当時の哺育器数は六ないし七台であつた。本症の活動期病変発見を目的とする未熟児の眼底検査は昭和四二年ころから小児科医の要請で実施されているが、右実施要領としては、昭和四四年度においては生下時体重二、〇〇〇g以下全員、二、〇〇〇g以上二、五〇〇g以下については酸素長期間使用者のみを対象として生後三〇日ないし五〇日経過した頃に行ない、昭和四五年度においては同年度と同一の対象児を生後三〇日経過した頃に初回の眼底検査を行なうという方針であつた。
他方、下出医師は、昭和四〇年前記植村恭夫の本症に関する論文を読むことにより初めて本症に関する知見を得、前記のように、昭和四二年ころより控訴人病院未熟児センターで未熟児の眼底検査に従事するようになつたが、本症の発生に遭遇したのは、昭和四三年五月以降では年間平均七例以下であり、しかも被控訴人伸二を除いては全員活動期Ⅲ期を超えて病変の進行したものはなく、失明したものもいなかつた。本症に対する治療法として同医師はその頃発表された前記植村恭夫らの論文に従い、若干の疑問を抱きながらも、活動期Ⅱ期ころにステロイドホルモン剤の投与を行なつていたが、自然寛解との識別は困難であつた。
かようにして、昭和四三年四月ころ、同医師は、同月発行された「臨床眼科」二二巻四号誌上の永田誠他三名の共同執筆による「未熟児網膜症の光凝固による治療」と題する論文を読み、本症に対して新しい治療法が試みられたことを知つた。翌昭和四四年一〇月二五日・二六日岐阜市内において第二三回日本臨床眼科学会が開催され、多くの研究発表が行なわれたなかに、前記永田誠医師他一名による「未熟児網膜症の光凝固による治療 第2報―4症例の追加ならびに光凝固適用時期の重要性についての考察―」と題する講演も行なわれたが、下出医師が同学会会場に入つたときは、右永田医師の講演はすでに終了しており、聴講することができず、同日会場にて交付を受けた同学会の「会次第・講演抄録」によりわずかに永田医師のなした講演内容を推測しうるにとどまつた。もつとも、右学会における講演の詳細は、すでに認定したとおり、昭和四四年五月発行の「臨床眼科」二四巻五号誌上の「未熟児網膜症の光凝固による治療Ⅱ―四症例の追加ならびに光凝固療法適用時期の重要性に関する考察―」と題する論文において発表されたのであるが、下出医師が本件当時(昭和四五年初め)右論文を入手することのできなかつたことは当然である。してみれば、同時期における下出医師の本症に対する光凝固治療に関する知見は、前記「臨床眼科」二二巻四号(昭和四三年四月発行)誌上に掲載された永田医師の論文の内容を余り超えるものでなかつたということができる、
ところで、同医師は、当審証人として、次のように証言している。すなわち、同医師が被控訴人伸二を天理病院に転医させる前の昭和四五年三月一一日頃、同児の眼底検査をしたところ、網膜剥離が始つていたので活動期Ⅲ期に至つたと認めたこと、次いで天理病院の菅医師に電話し、同児の光凝固治療につき問合わせたところ、同手術の適期は、病変の悪化したものについては奏効する期間が短かく、適期を徒過するおそれがある旨聞いたので、急に心配になり、急遽控訴人病院の小児科担当医師に対し、転医を急ぐようにとの連絡をしたというのである。
従つて、右のように、下出医師が電話で天理病院の菅医師から光凝固の実施時期が極めて短いことを聞いて非常に驚いたこと並びに光凝固に関する文献的知識としては永田医師の前記論文(乙第一号証)だけであつたこと等からすれば、下出医師の光凝固に関する知識は、その実施時期に関するものだけに限つてみても、現時点における臨床眼科医界の通念のもとにおいてはもちろん、本件当時光凝固について特別の関心を抱いていた眼科医の平均的知識からいつても甚だ不十分なものであつたと評せざるをえないのであるが、同医師のおかれた前示状況のもとではやむをえないことであつたというべきである。
下出医師の本件当時における本症及び光凝固治療に関する知識並びに臨床経験は以上のとおりであると認められる。
5 結論
以上1ないし4において審究したところを総合し、被控訴人伸二が失明するに至つたことにつき下出医師の同被控訴人に対する診療上責に帰すべき点があつたかなかつたかについて検討する。
(一) 下出医師は、被控訴人伸二に本症の発生したことを確認するや、当時としては眼科医であれば極く普通の治療法ともいうべき、症状の経過を観察しながら薬物(ステロイドホルモン)投与を試みていたのであつて、右投与の時期については小児科医との協議のうえ定まることであり、下出医師の薬物投与の指示には何ら問題とすべき点はないというべきである。まして、本症に対して薬物投与による治療が、殆ど無効と評価されている現時点においては、下出医師のなした薬物投与指示の時期が遅延していたかどうかを問うことは同医師の責任の有無を判断するうえで意味がないといわざるを得ない。
(二) 光凝固治療は本件当時にあつては、先駆的研究者である永田医師によつて発表されてから一年八か月経過したばかりで、いわば研究が緒についた段階であつたというにすぎず、ひろく眼科学界、臨床医家の間に新しい治療法として認められていたわけではなく、また、下出医師の有する同治療法に対する知見の程度もすでに見たとおりであつて、しかも、後記のとおり、同医師としても被控訴人伸二に対し光凝固治療を念頭において診療に当つていたわけのものではないから、本来、同医師としては、被控訴人らに対し、永田医師への転医を指示ないし勧奨をしなかつたとしても、医師として責められるべきところはなかつたものということができる。
しかるに、同医師が被控訴人らに対し転医を指示し勧奨した経緯については、すでに認定したとおりで(原判決理由第一、一、(二)、6記載の認定事実を引用)、これを略記すると、同医師が昭和四五年三月九日、被控訴人伸二の祖母(被控訴人桂子の実母)山ノ内節子と面会した際、「困つたことだが重症だ。自分としては最善を尽したのだが。」と述べて被控訴人伸二の病状が最悪の事態であることを告げたところ、右節子が「何百万円金を使つてもよいから伸二を身体障害児にしては困る。」と強く訴えたので、ここで初めて同医師は天理病院の永田誠医師の手術(すなわち光凝固治療)を受けるよう指示するに至つたというものである。
従つて、下出医師の右転医の指示は、同医師が積極的に被控訴人伸二の本症治療の一環として決定したというよりは、医師として尽すべき診療行為をしたが、伸二の病状が好転しないうえ、同児の親族から失明回避策につき懇願されたため、窮余の一策として天理病院への転医を奨めたということであつて、いわば、患児の親族の藁をもすがる思いに対して、医師としての立場を超えた半ば個人としての同情心に促されてなした行為ではないかと考えられる(当審における証人下出きよ子の証言中、右認定に抵触する部分は採用しない。)。
けだし、もしも下出医師が光凝固治療の有効性につき医師として確信を抱いていたとするならば、被控訴人伸二に本症の発生を認めた段階から右治療法を前提として病変の経過を観察し、天理病院へ転医させるべき(すでに認定したとおり、当時、わが国において光凝固治療の実施されていることが眼科医学界に知られていたのは同病院だけであつた。)適期を慎重に検討すべきであつたところ、下出医師がかかる意図のもとに診療をしていたとの証拠は全くないし、また、同医師が右治療法の適期についての知見も十分ではなかつたことはすでに見たとおりだからである。
もつとも、下出医師が天理病院への転医を指示するにあたつては、新治療法の有する限界についても十分説明すべきであつて、天理病院の永田医師が本症に対する世界的権威であること、手術には時期があるから一日も早く行くようにという程度の説明では、素人に理解し易いようにとの趣旨から出たものなのであろうが、右のような説明が抽象的であるだけにこれを聞く者に対し(素人であればあるほど)あたかも永田医師の手術を受けさえすれば失明が免れるとの誤解を与えかねないものであつたことは否定できない。
しかしながら、患児の保護者等に対し誤解を招き易い説明がなされたからといつて、患児及び保護者等に対する関係で医学上は無意味な医療行為(本件にあつては転医の指示)について当該医師を非難すべきいわれはないと解すべきである。
すなわち、すでに詳述したように、本件当時における光凝固の眼科学界、臨床医界における評価及び周知度並びに光凝固治療の実施上その前提として要求される多くの専門技術性等からいえば、控訴人病院及び下出医師においてこれに相応する専門的知識や技術、設備を何ら伴つていなかつたこと(当時の一般病院及び臨床眼科医も大抵このような状態であつたから、控訴人病院及び下出医師においてこれらの新知識や技術を具備していなかつたからといつて、これをとらえて非難することのできないのは当然であろう。)は、上来説示したところからも明らかであるところ、このような状況にある臨床医家・医療機関に対して一部先駆的研究者の開発したばかりの新規治療法の実施を求めること自体に無理があるのであつて、仮りに何らかの方法でこれがなされたとしても、右は医学的法則の裏付けのない無意味な処為といわざるをえないからである。
そうだとすれば、新規治療法について殆ど専門知識も技術も有しない医師が、確信もないのに右治療法をうけるよう指示することは、そのような行為の軽率さ自体について職業倫理上別個の非難の対象とはなり得ても、右指示によつて新規治療法をうけたところが、何らの効果もなかつたからといつて、右指示をした医師を非難すべき理由とはなりえないものと解するのが相当である。
第四下出医師の誤診に基づく責任の有無について
一被控訴人らは、下出医師の被控訴人伸二に対する初診時において誤診したことが、同人の失明を招来した原因の一つであると主張しているので検討する。
<証拠>によると次の事実を認めることができる。
下出医師は昭和四五年二月三日小児科医の依頼をうけて初めて被控訴人伸二に対し眼底検査をしたところ、「右眼 散瞳不充分。両眼 視神経乳頭軽度蒼白、静脈怒張。右眼 耳下側赤道部に小さい出血。左眼上周辺網膜灰色に混濁。両眼 血管盂曲」との症状を確認したので、翌四日右と同旨の症状を記載し、かつ、今後毎週検査すること、本児は未熟児網膜症を起しそうですと付記した通知票を小児科医に送つた。次いで同月一二日同被控訴人の眼底検査をしたところ、「両眼底 乳頭より境界鮮明、血管強く怒張蛇行、赤道部までしか血管伸びず 一せいに止つて居り 怒張し 吻合し蛇行 一部出血あり とくに右眼内上方左眼外上方」との病変を確認したので、同日、その旨を小児科医に通知し、併せて副腎皮質ホルモンの投与を依頼した。
ところで、天理病院の永田医師の見解によれば、前記二月三日における被控訴人伸二の症状は、本症のオーエンスⅠ期とⅡ期の中間、またはⅡ期の終りに近い症状を呈しているものであること、さらに、同月一二日の症状はⅡ期からⅢ期へと病変が進んでいる状況であつた。ところが下出医師は、被控訴人伸二の初診をしたときは本症の発生を懸念しつつもオーエンスの分類上どの程度まで病変が進行しているのかなお、断定を下しうるところまでには至つてはおらず、同月一二日二回目の眼底検査により症状は、本症のオーエンスⅡ期に進行したものと判断し、副腎皮質ホルモンの投与を小児科医に依頼したのであつた。しかし、後に至り同医師自ら反省しているように、初診からの症状の確認及びその診断は、オーエンスの分類からすれば、Ⅰ度ずつ判断のずれがあること、換言すれば、現実には悪化した病変が進行しつつあるにもかかわらず、分類上はより軽度の病変が進行中と判断していたということになるのである。
従つて、下出医師の右診断は、右事実関係のもとにおいては一応誤診のそしりを免れることはできない。そして、医師の診断は、もとより的確でなくてはならないことは当然であるが、当該診断の誤診について医師の法的責任が問われるのは、右誤診と結果発生との間に相当因果関係の存在することが前提であることはいうまでもない。
しかるに、すでに認定したとおり、下出医師の右診断当時、本症に対する治療法は、主として初期病変の段階において副腎皮質ホルモンを投与し、その効果の有無を観察するという程度のものであつて、これとても自然治癒との間の相違は判然と区別しがたいといわれており、さらに、オーエンスⅢ期以上に病変が進行する場合には、もはや確実な治療法はないというのが眼科医一般の考え方であつたものである。
さらに、<証拠>によつても認められるように、光凝固治療が各地において実施されるような段階に至つて、初めて未熟児の眼底検査が有効な治療法と深く結びつき、これに加え、眼底検査の継続性・正確性が一段と強調され、実践されるようになつたものである。それ以前における眼底検査は、一部の先駆的研究者によりその必要性が叫ばれてはいたものの、臨床医一般に滲透していたわけでもなく、やや掛声だけに終つたきらいがあり、本症の専門研究者だけが研究目的から精密な検査をしていたというのが実情である。のみならず、成人の眼底検査に熟練した臨床眼科医であつても、未熟児の眼底検査は、眼底の未熟性という検査対象の特殊性(特に極小未熟児についてはいつそうの複雑性を伴うといわれる。)からいつても特別の訓練(医師免許を取得してまもない者については約二年間)をうけることなしには本症についての専門家に属するとは認められない分野の特殊作業であつて、殊に右二年間における特別訓練の期間中、強調されていることは、何をおいても病変ステージⅡだけは見逃さないよう研鑽を積むことであつて、これを裏からいえば、病変ステージⅠ期の把握はなお高度の経験の積重ねが要求されるというものである。以上のような眼底検査の技術を修得して初めて光凝固治療に当たることができるといわれている。
ところで、すでに述べたとおり、下出医師の眼底検査は、元来光凝固治療を目的としたものではなく、副腎皮質ホルモン剤の投与を目的として病変を観察していたにすぎないものであり、さらに、<証拠>によれば、下出医師は未熟児の眼底検査の方法につき特別の訓練をうけたことはなく、殆ど控訴人病院における臨床経験により修得したものであること、下出医師が昭和四五年三月五日被控訴人伸二の眼底検査をした結果を控訴人病院の小児科医に連絡した同日付の通知内容と下出医師が同伸二を天理病院に紹介した同月一三日付の同医師の紹介状の記載との間に眼底所見につき文言上のくい違いがあるところ、永田医師の見解によれば、右は、下出医師が患児の眼底検査の結果につき的確な判断を下し得ない自信のなさの程を示すものであるということ、もつとも、それにもかかわらず、下出医師が被控訴人伸二に対してなした副腎皮質ホルモン剤の投与時期も格別時機に遅れたものともいえないこと等が認められる。
さらに加えて、<証拠>によれば、被控訴人伸二を診断した天理病院の永田医師の見解によると、同伸二の本症の病変は、現在では活動期の分類上Ⅰ型に近い混合型に属するものであつて、同型の本症がⅠ型に比べ複雑な臨床経過を示すこと、本件当時においては、このような活動期病変の分類はまだ明らかにされていなかつたことが認められ、このことからすれば、下出医師が同伸二の眼底検査の際に病変の的確な把握に苦しんだ一端の理由があるとも解せられる。
二そこで、考察するに、下出医師のなした被控訴人伸二に対する眼底検査は、光凝固治療を目的として為していたものではなく、眼底所見からすれば副腎皮質ホルモン剤投与の必要があり、その投与の時期を見はからうために実施していたと、同医師の本件当時における未熟児に対する眼底検査についての技術水準は、平均的眼科医よりは進んでいたとはいうものの、本症の専門研究者にはとうてい及ばないこと、被控訴人伸二の本症の病変が専門家にも未知な複雑な臨床経過を示したこと、光凝固治療を適時に実施しない限り、副腎皮質ホルモン剤の投与だけでは、いかなる眼科医といえども患児の失明を避けることができなかつたものであること等、以上を総合すると、前記のような下出医師の眼底所見に一部誤診があつたとしても、右誤診は被控訴人の失明とは直接結びつくものとはいえず、従つて、右誤診を理由として下出医師の法的責任を問うことは相当ではないと解すべきである。
第五療養方法等指導義務違背について
すでに認定したとおり、昭和四五年三月七日ころ、控訴人病院における被控訴人伸二の担当小児科医馬場医師及び眼科医下出医師は、同伸二の祖母山ノ内節子を介して被控訴人達彦、同桂子に対し、伸二の眼の障害が悪化し、回復が非常に困難で苦慮している旨の説明をしているのである。そしてすでに詳述したとおり、未熟児網膜症は、殆どが自然治癒するのであるが、極く少数の病変の進行したものにあつては、本件当時、眼科医ですら臨床経験に乏しく、しかも治療方法が極く限られていて奏効性の薄い難病の一つであるとされていたことからすれば、担当医師としても、病変の進行しつつある被控訴人伸二の症状、療養方法についてより具体的に説明することのできなかつたことは無理からぬことであつて(光凝固治療については下出医師の右治療法についての知見につき詳述したところからしても同様というべきである。)。その説明の仕方について当・不当の問題のあることは別にしても、被控訴人伸二の診療に当つた控訴人病院の担当医師らにおいて医師法二三条所定の義務違背の有無につきこれを認めるのは相当ではないといわなければならない。
また、控訴人病院において、その総合病院としての有機的な協力体制(小児科医と眼科医との連繋を含め)をいかに十全に発揮しえたとしても、当時の総合病院における本症に対する治療方法は一般的に光凝固治療を採用していたと認めることはできないから、同治療法を前提として控訴人病院における有機的な協力体制をとるべき義務があつたかどうかを問題にすること自体相当ではないといわざるをえない。
被控訴人らは、下出医師らが、自分達に被控訴人伸二が失明するかも知れないことをもつと早目に説明していたならば、被控訴人側としても、早期に永田医師による光凝固治療をうける手段を講ずることができた筈であるというが、右主張は、本件当時、光凝固が控訴人病院の眼科において一般的に採用していた治療方法であることを前提とするものであるところ、右前提の理由のないことはすでに詳細に説示したところであるから、右主張は失当として採用することができない。
また、被控訴人らの右主張が、控訴人病院において光凝固が一般的に採用している治療方法でなくとも、とに角、そのような治療方法の存在することを患者側に告知するのが担当医師の義務であるとの趣旨であるとしても、医師が患者に対して負うべき診療上の義務としては、当該医師が標榜する専門診療科目について臨床医が一般的に採用している医療方法に準拠すれば足りるのであつて(もつとも、当該臨床医の専門性、地域性、医療施設の充実度等により医療方法等に若干の差異のあることはしばらくおく。)当該専門医学界において発表されたが、なお学界並びに臨床医家の間にひろく支持をうけるに至つていないような新規開発にかかる治療方法の如きは、医師はこれを担当する患者に対して実施することはもとより、右新規治療方法の存在することを患者に告知する義務もないと解するのが相当である。
当該医師が医学的知見に照らし十分納得のいかない新規治療方法を患者に紹介することの方が却つて医師として無責任な態度であり、診療契約上の義務違背であるとすらいうべきであろう。医師としてあくまで堅持すべきは、往々にして藁をもつかみたい心情にある患者側に対して、医学的法則に裏付のある冷静な判断であり、またこれに基づく適切な指示でなければならない。
このような観点からいうならば、本件において下出医師が被控訴人に対してなした転医の指示は、十分な医学的知見に基づきなされたものとはいえない処為というべきであつて、そのこと自体、法律上は別個の評価をうけるべき対象とはなつても、上来説示したように、少なくとも、右指示と被控訴人伸二の失明との間に法的因果関係の存しない以上、同医師の帰責事由とはなしがたいといわざるをえない。
以上要するに、被控訴人らの右主張は独自の見解に基づくものであつて、とうてい採用の限りではない。
第六結語
以上の次第で、被控訴人伸二の失明は、控訴人病院における担当医師らの被控訴人らの主張にかかる義務懈怠によるものではないし、また、右医師らにつき被控訴人らの主張にかかるその余の義務懈怠のあつたことを認めることはできないので、これと異なる前提に立脚する被控訴人らの本訴請求(附帯控訴にかかる請求を含め)は、いずれも失当として棄却を免れない。
よつて、当審の結論と異なる原判決中、控訴人敗訴部分は、失当としてこれを取消すべく、被控訴人らの本訴請求並びに本件附帯控訴はいずれも棄却することとし、訴訟費用(附帯控訴費用を含む)の負担につき民訴法九六条、八九条、九三条を適用し、主文のとおり判決する。
(丸山武夫 山下薫 福田晧一)